令和6年9月(長月)の行事予定nado

石観世音歴代世話方様の施食会

 8月10日は石観世音の歴代世話方様の施食会の法要が行われました。この世話方の制度は、江戸時代後期の文化十年(1812年)に最初の本堂が建立された後、安政4年(1857年)に宿坊が落成し、その時に世話方12名が沿革史に記されています。

沿革史には、「世話方制度の変遷」(旧来~昭和25年)と題して、冒頭に「石観音の管理経営は古来三方区に属し、従ってその世話人も区民中より推挙して時代の推移に応じ、適切にその担当を決めたり。」と書き記し、説明に入っています。
旧来は、世話方5人で毎月17日・18日のご命日、春秋彼岸7日間、大祭、8月10日の施食会その他必要に応じて出務することがあるけれど、平日は月の当番一人が毎日夕方上山して、火の元注意・賽銭の整理・清掃等を行い、帰宅していたとあります。
大正の時代に入って、国鉄小浜線開通に伴い参詣者・参籠者の希望者も増えて、堂守(どうもり)の必要に迫られてきたとき、大正11年以降4組のご夫妻が昭和10年まで、日夜仏前の清掃、お供え物、堂の保全に留意して参詣者・参籠者の手引きをしていたと記されています。
その後は、常住の勤務者は続かず、世話方の内二人交代の日勤者として毎日交代して一人が出務し、ほかに小使い一人とともに日勤の状態が戦後まで続いたとあります。
そして昭和26年になって世話方制度が改正され、それがもとになって現在に繋がっているという状況です。世話方の方々の努力に感慨深いものがあります。

せき止め地蔵尊・延命地蔵尊の法要

 せき止め地蔵尊に関わる資料としては、以前にも述べましたが元世話方の市野光雄氏による「三方石観世音歴史散歩1」によれば、「せき止め地蔵尊は三方区内の信者により管理せられ、洗心園の麓にあった」とあります。「その後管理方の申し出により、昭和36年9月17日に現在地に祭祀せられた」とありますが、そこの石碑には、“せき止め地蔵”となっていて”せき止め”の意味には触れられていません。

延命地蔵尊の方は、それに関する資料は見つけられていないので、今のところ普通の方が病気になってもお医者さんや病院で気軽に見て頂ける時代ではなかっただろうことから、石観世音のお手足のようにお地蔵さんのお力に頼ることもあったのだろうかと思います。新たな資料が出てくればと思います。

9月 の 行 事 予 定

〇 9月1日(日)・各神社清掃日
〇 9月2日(月)・全員作業日
〇 9月12日(木)・
山脇神社・御方神社の神事
〇 9月15日(日)・
熊野八幡神社の神事
〇 9月17日(火)・月次法要
・毎月17日に行うご祈祷希望者のための合同祈祷の日になっています。もちろん   祈祷を希望していない方でも自由にお参りできます。ご祈祷内容はご本人のご希望の内容となります。
〇  9月19日(木)・彼岸の入り[全員出勤8時]
〇  9月21日(土)・みかた祭り
〇  9月22日(日)・彼岸の中日[全員出勤8時]
〇 9月25日(水)・彼岸の明け[全員出勤13時]
 9月30日(月)・月末の合同祈祷
・17日の月次法要と同様、ご祈祷希望者のための月末の合同祈祷日です。

 

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