聖徳太子尊法要は展望台登山を楽しく有意義に体験するためです!
「太平洋戦終戦の後、三方区内の三十五歳より五十歳の男子により、区内の諸事業推進のため捨石たらんと結成された奉仕団」、すなわち当時活躍された三方中年会の方々が中心となってこの登山道を現在の形にまで開いてくださいました。もう少し詳しく述べると、「第一展望所迄の道路開発は昭和14年春、区総出により出来たもの」とあるのですが、「戦後これを中年会が延長して第二・第三の展望所まで開発し、第二展望所には休憩亭や腰掛け等を設置せられた」ということです。そして近年まで「この道路や展望所は、三方中年会に於いて毎年草苅り、道伐り(きり)、手直し等行って」来たのです。
その後、「若狭湾が国定公園に指定されたことを機として、登山観賞する方たちが増加したのです。これにより当所においても、「神聖なる高所に仏像を祭祀し、登山者の守護と大自然の神秘を体得せしめるとの議もあり・・・・・・従来本堂の南隅に祭祀のわが国仏教の始祖聖徳太子堂を展望所の聖地に遷座する事となり、昭和31年11月27日に鎮守を、12月3日に遷座され、従来の11月3日を大師祭と定め、上山祭事を行った」とあります。しかしその後、昭和52年には再び現在の場所に遷座されたと大師堂の中に記録が残されていました。
福井県においてもこの「展望所道路は50年度に道幅の整理や補足などして、新庄(美浜町)の屏風瀑(たき)経由新庄迄開発し、徒歩道の案内票も石観音参道と本堂裏の二か所に建設された」とあります。(「」内は石観音沿革史、ほかより)
今後も登山者の安全を祈願して大師祭の法要は続けられます。
ご賓頭盧尊者様のお性根抜きの法要行わる!
「ご賓頭盧尊者様修繕のため十二月一日より三月十八日まで石観世音本堂をお留守になります。」とお知らせにはありますが、ご賓頭盧尊者様のこれまでのいきさつを簡単に述べてみます。
明治二十八年一月八日に本堂が原因不明の火災にあい焼失したため、再建に村挙げて懸命に取り組み、明治三十三年にようやく落成することに至りました。この間の数年間に本堂のさまざまな仏像等も含めてすべて焼けてしまい、多くの方々の寄付等で落成にこぎつけたわけです。 現在本堂にあるすべての像はこの時の皆さんのご厚意で立て直すことが出来たわけです。ご賓頭盧尊者様もその一つでした。こうしたご協力の一部始終は「石観世音沿革 巻一」に記録されています。 そうした努力が今現在まで続いている石観世音の歴史です。本当にありがたいことです。
そして今、ご賓頭盧尊者像が100年以上も頑張って頂きましたが、少しづつ痛みも重なって修繕しなければならなくなりました。そのため、上記に記しましたように12月1日に修繕に出すことになりました。3月のお彼岸には戻ってこられるということですので暫くの間ご辛抱宜しくお願いいたします。
*この度、ご賨頭盧尊者様のお性根抜きの法要には、臥龍院の若き舜(しゅん)祐(ゆう)方丈様が最初のお務めをしてくださいました。これからも様々な形でお世話になります。皆様におかれましてもよろしくお付き合いくださいますようお願いいたします。
11 月 の 行 事 予 定
〇 12月12日 (木)・全員作業日
〇 12月13日(金)・忘年会
〇 12月17日(火)・月次法要
〇 12月24日(火)・花取り予定
〇 12月25日(火)・棚卸し予定
〇 12月27日(金)・棚卸し予定
〇 12月28日 (土)・年末法要
・年末法要 毎月17日に行うご祈祷希望者のための合同祈祷の日になっています。もちろん祈祷を希望していない方でも自由にお参りできます。ご祈祷内容はご本人のご希望の内容となります。
〇 12月31日(火)・お鏡お供え・除夜の鐘