令和2年9月(長月)の行事予定nado

120余名の石観音歴代物故世話方追悼法要を粛々と終える!

コロナ禍のもと3密を防ぐ環境を整えた中、皆さんマスクをしてご出席いただき、物故世話方様の追悼法要を厳かにそして粛々と終えることができホッとしています。江戸時代後期からでも100名を超える多くの世話方様の力により今の石観音がある事に感謝です。今後も石観音護持のために皆様のご協力をお願い致します。

ご存知ですか! 現大般若経本全600巻

現在使われている大般若経全600巻は、平成18年に新調されています。それまで使われていた大般若経はおよそ100年前の経本だったということです。石観世音沿革(巻一)には次のように記録されています。

「明治30年2月、当時臥龍院執事田村泰瞬殿発起となり大般若経全部を信者より勤募寄附せしめられたり。施主は勤募者なるも詳細の施主は般若経各巻に明記せり。」

明治30年という年は、石観世音にとっては大変な年でした。というのは、それより2年前の明治28年1月8日午後9時頃に本堂一帯が火災に見舞われ焼失したとあります。この時の様子を沿革史からさらに詳しく見てみましょう。

「その原因たるや全く不明にして、或いは乞食等の雪垣内に於いて寒気に耐え兼ね焼火せしものにあらざるやの噂ありしも怪しきものの居りしをも見受けず、勿論上は雪積り、上り得ざりしなり。回顧すれば隣道大和尚文化十年(1813年)本堂を建立せられたりより83年間を存せしに、あたら一朝の空に帰し去りしは最も惜しむべきことこそ。然るに此処に最も不思議なるは斯かる大火にも御尊体には何等の御障りもなく真に感ずるに余りあり。翌朝仮厨子を造りて安置し、其の後直ぐに仮堂の設計をなせり。とあります。

そうして、明治29年には本堂再建の計画を作成し、32年には再建工事を着手して、明治33年5月に本堂再建の落成式を挙行したとあります。その後大正の時代にまでさまざまな方からの寄付援助等が行われ、現在の石観世音が存続することになったと云えます。

元の大般若経が揃えられたのは、本堂一帯が消失したあとの再建の足掛かりともなる明治30年2月(1897年2月)とあります。それから100年余りもこの大般若経は活躍してきました。しかしこの間、痛みは激しくなり、また全巻揃っていなかったこともあり、平成18年(2006年)には、臥龍院35世安藤良童老師のお力添えを賜わり、当時の奉賛会会長の坪田吉泰氏と石観音委員長の市野光雄氏のもとで、多くの方々からのご寄進による新調に踏み切ったといいます。こうした経過を踏まえるならば、新調された大般若経600巻は貴重な財産です。この大般若経全600巻は、毎年春と秋のお彼岸の法要の時と7月18日の大祭の時の3回使用されます。今後も益々活躍してくれることでしょう。

一言付け加えますと、この大般若経全600巻の各巻には、上記写真にありますように表紙裏面にご寄進者のご芳名が記されています。関心のあるお方は、石観世音事務局にお尋ねください。

9 月 の 行 事 予 定

〇 9月1日(火)・三方石観音清掃日
石観音委員全員で参道その他の清掃等を行います。
〇 9月17日(木)・月次(つきなみ)法要
月次法要は、毎月17日に行うご祈祷希望者のための合同祈祷の日になっており、ご本人の希望の願意にもとづいてご祈祷が行われます。もちろんご祈祷を希望されていない方も自由にお参りできます。
〇 9月18日(金)・花取りと花立て
彼岸法要のための花取りや花立てを行います。
〇 9月19日(土)・彼岸入り
 石観音委員全員で幕張り等の準備を行います。
〇 9月22日(火)・彼岸の中日
 ・彼岸法要並びに秋季祈祷会
 お彼岸の法要を行い参拝者のご健康とご繁栄を祈願いたします。同時に三方石観世音永代祈祷家の法要も行われます。
〇 9月25日(金)・彼岸明け
石観音委員全員で幕の片づけ等を行います。
〇 9月30日(水)・月末の合同祈祷日
この日は、毎月の月次法要と同様に、ご祈祷希望者のための合同祈祷の日になっており、参拝者ご本人の希望の願意にもとづいてご祈祷が行われます。